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アナログレコードとクラブ・カルチャー    DJ NORI、インタビュー

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取材/文:二木信

写真:豊島望

取材協力:Bridge ( http://bridge-shibuya.com/

 

2016年のはじめ、Technicsのターンテーブル「SL-1200」シリーズの最新モデルが登場するというニュースが飛び込んできた。限定生産の「SL-1200GAE」と通常モデルの「SL-1200G」が発売されるという内容だった。つまり「SL-1200」シリーズの復活である。開発者によれば、DJやクラブ・カルチャーからの期待を念頭に置きつつも“変わったのは、目に見えないすべて”というキャッチフレーズからもわかるように、1972年の発売開始から世界で350万台を販売してきた「SL-1200」が自らの存在意義を再定義した復活劇を目指したという。

 

とはいえ、当然クラブ・カルチャーにとっても「SL-1200」シリーズの復活は小さくない出来事だ。日本でも海外でもヴァイナルでプレイするDJは圧倒的に少数派となっている。CDやデータでのプレイが主流である。だが、ヴァイナルでプレイするDJがいなくなったわけではない。いや、むしろ近年ヴァイナル再評価の機運は高まっている。そしてこの手の話は、懐古趣味や、メディアやテクノロジーの進化や変遷といった議論だけに留まるものではない。そのことをクラブ・カルチャーやダンス・ミュージックにかかわる人間は深く知っている。ヴァイナル、そしてテクノロジーの進化、変遷とはこの音楽文化の歴史と本質そのもと言っても過言ではない。

 

そこで「SL-1200」シリーズ復活のタイミングで、この国のダンス・ミュージック界のレジェンドであり、いまも第一線で活躍するDJ NORIに話を訊いてみようというアイディアからこのインタヴューは実現している。DJ歴35年以上を誇るDJ NORIは、最近ではMUROと共に7インチ・オンリーでプレイするパーティ/ユニット〈CAPTAIN VINYL〉という新しい試みも行っている。ヴァイナルへのこだわり、テクノロジーの進化、メディアの変遷という観点から、自身のキャリアやクラブ・カルチャーへの熱い想いを語ってもらった。

 

 

――子供のころはどのようなオーディオ環境で音楽を聴いていましたか?

 

親父が買った家具調のステレオ・セットが家にあったんです。レコードも聴けて、ラジオもカセットデッキも横についているようなやつでした。それでレコードを聴いていましたね。

 

――そのようなオーディオ環境でどんな音楽を聴いてましたか?

 

僕が若いころはフォーク全盛だったんですよ。かぐや姫とか吉田拓郎とか、小椋佳とか井上陽水とか、NSPとか。周りではギターを弾いている友達もいたけど、自分は指も短くて上手く弾けなくて、野球部で野球に熱中していたのもあってギターを諦めた。音楽を聴くのは好きだったからリスナー専門でしたね。そんな中、僕が中学のときに日比谷野外音楽堂でキャロルの解散コンサート(1975年)があったんです。その映像を観てものすごく衝撃的を受けてキャロルにハマったんですよ。

 

――その後、どっぷり音楽にハマっていくと。

 

キャロルとかロックンロールは聴いてましたけど、野球一筋だったからからあくまでもリスナーでしたね。高校のころも野球部でしかも寮生だったから、もちろん暴走族ではなかった(笑)。他の寮生がディスコに遊びに行くのを遠目に見ている感じでした。それから高校を卒業して、ディスコやソウル・バーに遊び行くようになるんです。で、あるとき友達に札幌のすすきのにある〈フリークアウト〉ってソウル・バーに連れて行ってもらうんです。DJブースがバーの横にあってすごく良い雰囲気だった。そこに通うようになってマスターにディスコやソウルといった音楽のことをいろいろ教わった。お客のいない時間に行くと、マスターがレコードを聴かせてくれたりしてね。そのときはDJになろうと思っていたわけじゃないけど、いま振り返ればそれが僕のDJへの第一歩ですよね。

 

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――マウス to マウス、パーソン to パーソンで得た音楽情報は体に入りますよね。NORIさんがDJを始めたのはだいたい18歳ぐらいのころと言われていますね。

 

会社を事情があって辞めて、東京に出て遊んでいたんです。その時期に六本木にある〈キサナドゥ〉とかに行っていた。やっぱり東京は違うなあと思いましたよ。それから少し経って札幌に帰って来た。その当時すすきのにザンディっていう黒人がやっている〈ザンディカーター〉っていうソウル・バーもあったんですけど、そこが閉店したあとにアイビー・ファッションのバン(VAN)関係の洋服屋さんの人たちが〈ヴァンガード〉というお店を開くんです。僕がちょうど札幌に戻ったときがそのお店のオープンだった。当時オープンしたばかりのタワレコの上にありましたね。〈ヴァンガード〉にはザンディが残したレコードとDJブースも残っていた。仕事もしていなかったから、「じゃあ、DJをやるか」ってことでDJを始めるんですよ。それが18歳ぐらいのころですね。ザンディが残したレコードをそれこそTechnicsのターンテーブルでプレイしていましたね。

 

――〈ヴァンガード〉はどんなDJをしてたんですか?

 

〈ヴァンガード〉はブリティッシュ・パブっぽい雰囲気だったから、マイクもあってしゃべりながらDJしていましたね。ミキサーはPA用の機材でミックスも見よう見真似で縦フェーダーでやってました。そのお店にディスコのDJの先輩がけっこう遊びに来ていて、「お前、本気でDJやる気あるのか?」って言われましたね。「お前にミックス教えてやる!」って(笑)。そういう世界は意外に体育会系なんですよね。それから毎日お昼に待ち合わせをしてお店を開けてミックスを教わるようになったんです。

 

――当時ロータリーフェーダーはありましたか?

 

当時日本のクラブはまだまだ縦フェーダーでしたね。ただ、詳しくはおぼえていないんですけど、僕が遊びに行っていた〈カルチャーダ〉っていうディスコはロータリーで音を右左に分けていた。〈ヴァンガード〉を辞めてから、〈釈迦曼陀羅〉っていうでかいディスコにDJで入ったんです。そこのミキサーはクロスフェーダーが付いてましたね。そこで新たなミックスのやり方をおぼえていくんです。でも日本のディスコにはUREIなんてまだなかった。だから、1983年にNYの〈セイント〉に初めて行ってUREIかBozakのロータリーのミキサーを見たときは衝撃的でしたね。しかも、ターンテーブルが3台か4台ぐらい並んでいたんです。やっぱり縦フェーダーからロータリーへの変化は大きかった。音の混じり方が変わるし、ヴォリューム感も違うし、DJの考え方も変化しましたね。

 

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――1983年に初めてNYを訪れて、その後1986年から本格的に移住して1990年までNYに住まれていますね。そのあたりの話はこれまでも何度も語られていますが、1983年のころのNYと言えば、一方でヒップホップも盛り上がり始めた時期ですよね。

 

僕が初めてNYに行った当時は〈シュガー・ヒル・レコード〉やアフリカ・バンバータなんかの人気に火が付いたときで、よりコアなヒップホップも流行り始めていましたね。まあ〈ロキシー〉の時代ですよ。一度だけ〈ロキシー〉にも行ったことがあるけれど、柄が悪かった、というかピリピリしてましたよね。NYではいろいろ学びました。それこそ日本の体育会系の気質とかもがあまり好きじゃなかったんですけど、向こうに行ってそういうのとはまったく違う価値観も学びましたしね。日本に帰ってきてそういう考え方は止めようと思ったことをおぼえています。

 

――いまNORIさんはMUROさんと7インチのヴァイナル・オンリーでプレイするパーティ/ユニット〈CAPTAIN VINYL〉もやられていますよね。

 

NYに住んでいたころも7インチは好きで買ったりしていたんです。でもそこまで7インチに思いっきりハマってたわけではなかったけど、ソウルのオリジナルの7インチの音を聴いて衝撃を受けてそれからハマっていったんです。もちろん音質は12インチやLPとも違うし、7インチのスピード感が好きなんですよね。

 

――自分は今年1月の〈HOUSE OF LIQUID〉で〈CAPTAIN VINYL〉のプレイを聴かせてもらって興奮したんですけど、MUROさんとの間でどのようなやり取りがあるんですか?

 

DJやるときにMUROとの話し合いはあまりないですね。MUROは長年7インチを買っているし、僕なんかよりも持っているレコードの量も圧倒的に多い。僕は最初はセットも限られていたんだけど、だんだんセットのヴァリエーションも増えてきましたね。MUROと自分はジャンルの好みで言えば、70年代のソウルや80年代のディスコ、レゲエが大好きな部分が共通しているから、MUROの持ってるグルーヴや素材としか生まれないものがありますね。ディスコかけて、そのあとにジャズをかけるときもあるし、ディスコのあとにディスコをかけるときもある。だんだんダウンビートやR&Bやヒップホップになったり、ときにはハウスになったり、その流れを作っていくのがすごく楽しい。僕は、一晩かけていろんなジャンルを聴かせるのがクラブのDJのスタイルだって学んできた世代なんですよ。いろんなジャンルの自分が良いという音楽をチョイスしている。だから、ひとつのジャンルをコアに追求してこなかった側面もあったから、いま改めて7インチでコアに追求しはじめている。また扉が開いて、いろんな音楽との出会いを楽しんでいますよ。

 

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――クラブ・カルチャーの世界でもデータ配信やダウンロード文化が一般化して久しいですが、音楽を聴いたり、DJの際に活用したりしてますか?

 

これがまったくしていないんです。人からいただいたデータはありますけど、自分でダウンロードしたことは一度もない。僕がDJ以外でまともに働いたことがあるのもレコード屋さんぐらいですしね。MUTEKI RECORDSとDJ’S CHOICEで働いてた時期がありますね。MUTEKIではいろいろ学ばせてもらいましたし、DJ’S CHOICEはイギリスのMILOがディーラーをやっていたから、当時コアなハウスとかをガンガン入れてましたね。だから僕はやっぱりレコードなんですよ。でも一度トラブルがあって、急遽USB内のデータを使ってDJしたことはありますけどね。韓国の現場に行ったら、用意してくれるはずだったターンテーブルがなかったんですよ。それで大慌てで人からもらっていたデータをUSBに入れてなんとかDJしたことがありました。事前にもらった曲の半分も聴いてなかったけど、その場でセレクトして汗流しながらやりましたよ(笑)。

 

――それは大ピンチですね(笑)。いまクラブやDJバーみたいな場所もアナログよりもCDやMP3といったデータにあわせて音響の環境を整えている場所も多いですよね。そういう現場でどんなことを感じたり考えますか。

 

やっぱりCDの方が音の一定感はあるじゃないですか。でも、それだと僕は面白くない。アナログの個性的な音の鳴りをDJがコントロールして、場の雰囲気を作っていくのがクラブの基本で、そういうことをDJを始めてからずっと学んできましたからね。だから、常にいまの現場に立ち向かっていますよ(笑)。

 

――そういう時代に、今年Technicsのターンテーブルの最新作「SL-1200G」が発売されました。これはクラブ・カルチャーにとってビッグ・ニュースですよね。先ほど実際にレコードを鳴らして使ってみてどうでしたか?

 

再生力、音の解像度がこれまでのアナログプレーヤーとはぜんぜん違う。クリアなんですよ。しかも低域の音がしまってる。ホントびっくりしました。これはひとつの革命ですね。このターンテーブルでかけると、7インチとかも曲によっては違う曲に聴こえる。やっぱり良い音で音楽を聴くのは大切なことですよ。わざわざクラブやバーに足を運んで音楽を聴くというのは、自分の部屋で音楽を聴くのとは異なる、特別な体験するためじゃないですか。僕がDJを始めたころのディスコは高いお金をかけて音響を整備しているところもあったけど、そこまで音が良くなかった。そういうことも日本でハウス・ミュージックが広がるのを遅らせた原因のひとつだと僕は思うんです。ただ、たとえ音響が良くても、音の悪いブート盤ばかりかけていてもしょうがないと思うし、LP、12インチ、7インチ、それぞれの盤の個性をDJがどれだけ把握しているかがとても大切ですよね。いまみたいに技術が進化してクラブの設備が整ってきた時代でも、良い空間を作るためにDJもお店の人も常にレベルアップしていくことは大事ですよ。

 

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