鈴木慶一 × 和田博己 
「ぼくらのオーディオ・ヒストリー」

音楽活動45周年という節目を経た鈴木慶一。彼のキャリアの原点であり、日本のロック史に残る伝説のバンド、はちみつぱいの再結成ライヴを5月に控えるなか、はちみつぱいのメンバーであり、現在はオーディオ評論家として活躍する和田博巳と共にオーディオ遍歴を振り返ってもらった。ムーンライダーズでの活動を中心に、つねに最新のテクノロジーをサウンドに取り込んで来た鈴木。そこにはミュージシャンとしてのサウンドに対するこだわりと共に、和田とのオーディオを介した強い絆があった。

 

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『最初に手に入れたセパレートされたステレオセットは、和田君に作ってもらったやつなんだ』(鈴木)

 

ーーー慶一さんが子供の頃に使っていたオーディオは、どんなものだったのでしょうか。

 

鈴木「脚がついてる家具調のやつだね。一体型で、真ん中が開いて左右にスピーカーが付いていた」

 

和田「〈華厳(けごん)〉とか〈雅(みやび)〉とか、そういう名前がついてたんだよね、ステレオに(笑)。次のモデル、さらに高級品が1965〜1966年ぐらいに出て3つに分かれるんですよ、センターコンソールと左右のスピーカーに。サイドスピーカーをセンターコンソールから離すことができるんで、よりワイドに聴けるようになった」

 

鈴木「電動蓄音機もあったな」

 

和田「電蓄ね。うちはね、僕が2歳か3歳頃の記憶なんだけど、アコースティック蓄音機があった。朝顔型のラッパがついたやつ」

 

鈴木「そんなのあったんだ!」

 

和田「うん。それでタンゴをかけて、両親が踊ってたのを覚えてる。親父がすごい新しいもの好きだったんだ。昔はクレメンゾとかHMVっていう高級蓄音機もあって、それ一台で家が一軒買えたの。ものすごく高級なものだったんだ。先週、オーディオテクニカの新社屋に行ったんだけど、ロビーに家一軒するような蓄音機が20台ぐらい展示してあった。今でも全部、音が出るんです」

 

ーーー昔のオーディオは高級品だったんですね。それが少しずつ一般家庭でも聴けるようになってきた。

 

鈴木「中流家庭ならね。子供の頃は電蓄でおじさんとかおばさんが持ってくるSP盤を聴いてて、小学校くらいから家具調ステレオになる。で、最初に手に入れたセパレートされたステレオセットは、和田君に作ってもらったやつなんだ」

 

ーーー和田さんのお手製なんですか? スゴいですね。

 

和田「僕はもう17歳ぐらいからオーディオが趣味だったんで、自分でスピーカー買って来てキャビネットを作ったり、アナログプレイヤーを組み立てたりしてたんですよ。で、慶一くんのバンドに入れてもらった頃に……」

 

ーーーはちみつぱいに?

 

和田「そう。その頃に僕がプレイヤーを新調して、それまで使ってたアナログプレイヤーが余ったんで、それを慶一君の実家の羽田に持っていって」

 

鈴木「スピーカーとターンテーブルを作ってもらったよね。アンプは別で買ったけど」

 

和田「ターンテーブルは本格的なトーンアームにして」

 

鈴木「むちゃくちゃ重いターンテーブルだった」

 

和田「積層合板をくり抜いて作ったんです」

 

ーーーいちから作られたんですね。

 

和田「もちろん。キットじゃない。オーディオ雑誌に作り方が書いてあって、それを見ながら。すっごい大変だった。血の滲むような努力(笑)」

 

鈴木「ありがとうございます(笑)。それを70年代の頃はずっと使ってた。で、80年代になって、今そこにあるやつ、DENONのDP3000になった。その時は、スタジオのエンジニアの田中信一さんっていう人に相談したの」

 

ーーーずっと人頼みで(笑)。

 

鈴木「そう(笑)。それ以来、ずっとそのプレイヤーを使っていて、スピーカーとかアンプはどんどん変わっていく。何か新しくする時は、いつも和田君に相談したね」

 

和田「スピーカーとかアンプは消耗品だから、大体6〜7年くらいでヘタるんです。プレイヤーは壊れない限り大丈夫だし、壊れても部品交換でなんとかなる」

 

鈴木「スピーカーは今使ってるB&Wで落ち着いたけどね。B&Wはイギリスのメーカーでアビーロードスタジオとかエアスタジオとか世界中のスタジオが使っていて、そこにいたエンジニアが独立して作った家庭用スピーカーがこれ。音はすごく良いけどデザインがキュートすぎて(笑)。スピーカーは仕事用とプライベート用と2種類使っていて、仕事用はYAMAHA」

 

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